2015年1月31日土曜日

親離れの話



 別に「親離れしなさいよ」みたいな説教じみた話をしようと思っているわけではない。
ただ、「親離れ」ということについて、お酒の入った雑談程度のことを書き連ねようと思い立っただけで。


 「いつ親離れを感じたか」ということについて。別に「親離れ」しないと云々と啓蒙的に言われたから、とかそんな話ではなくて、一般的には気がついたらなんだかそんな感じになっているような気がする。気がする、だけで実際はそんなことはないのだろうか?まぁ、色々と事情あるだろうし。そもそも一人暮らしをすることが親離れだ!というつもりもなければ、経済的な自立がーとか、そういう細かいことをいうつもりもないし「なんとなく親離れっぽいなぁ」くらいなノリで話をしようと思う(怒られそう)。

 あくまで私の雑談としての、親離れを感じる瞬間について。何かを教えてくれる人(一般には先生、もちろんそれに限らず色々といるだろうけど)の年齢があるときを堺に気がつけば、自らの親世代と同じか、下手をするとそれよりも若い世代の人の割合が増えてきた気がする。私はその瞬間に「親の言うことは絶対的」でもなければ、物事を教わるべき対象は親に限らないし自分で色々と探すべきだ。ということを悟ったように感じる。なぜ年齢がそこまで私の認識に大きく影響していたのかは分からない。ただ、自分の親世代の人やそれよりも下の世代の方が私の「先生」として登場し始めた辺りから曖昧な「親離れ」が進んでいたように感じる。

 そうすると都市伝説的にいわれる「次男次女のほうが親離れが遅い」という話もなんだか納得が行く気もする。それだけ「親世代やそれ以下の世代の先生」の登場が長男長女に比べれば遅いのだから。要するに親離れなんてよくわからないけど、周りの環境、要するに関わる人によってもたらされた認識の変化程度のことな気がする。

 もちろん親離れに必要なのが「子離れ」だろう。というご指摘があればそれはその通りだろう、という感じだが。子離れについては私が親ではないから知らないけど、親離れよりもはるかに難しい気がする。




 さて、そんなことを書いていたらこんな時間か。頭が痛いしなんか身体が重い。コーヒーの1杯でも飲んだら水でも片手に大学へ行こう。そして、そのあとは中3数学の授業でもしてお金稼ぎだ。いつもの日常というか、代わり映えしないなぁ。

では!

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